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目次
[T]序章ある日本人農業移民の日記帳との出会い
1.初めてのブラジルでの現地調査一「松原移民」調査
2.第二の調査地点の決定の準備
(1)サンパウロ州の農業経営体─中間層の肥大化─
(2)ミリエの農業地域区分
(3)アルタソロカバーナ地方に調査地点を決定した理由
3.プレジデンテ・プルデンテ市近傍を調査地点として選ぶ
(1)プレジデンテ・プルデンテ市(郡)の概略
(2)プルデンテ市の農業経営体の概観
(3)プルデンテ市(郡)の日系人
(4)調査地の地図を作成する
4.調査地点を日系人の集団地「ミネのムラ」に決定
(1)何故「ミネのムラ」と呼称するか
(2)「ミネのムラ」を調査地点として選んだ理由
5.『Y日記』との出会い
[U]「ミネのムラ」の形成とその社会経済的性格
1.「ミネのムラ」の構成
(1)年齢別・男女別・一二世別人口構成
(2)世帯主の着伯から[ミネのムラ]定着までの空間的足跡
(a)着伯年、移動年数、「ミネのムラ」定着年
(b)地域区分と「ミネのムラ」構成員の空間的足跡
(3)世帯主の着伯から[ミネのムラ]定着までの階層的足跡
(a)サンパウロ州の農業階層区分
(b)「ミネのムラ」構成員の階層移動状況
(c)五つの時代区分と「ミネのムラ」構成員の動向
2.小生産者集団地[ミネのムラ」形成の諸条件の歴史的分析
(1)初期日本移民期(@の時期1913〜24年)
(2)国策移民の開始から世界恐慌まで(Aの時期1924〜29年)
(a)「転々股旅者」と「野武士」的植民者
(b)日本の「植民会社」の「植民地」開設
(c)「ミネのムラ」構成員の動向
(3)世界恐慌から第二次世界大戦まで(Bの時期1929〜39年)
(a)コーヒー価格の下落
(b)コーヒー・ファゼンダの解体
(c)綿花生産の興隆
(d)綿花生産の流通機構
(e)アレンダタリオ(借地農)の増加
(4)第二次世界大戦期(Cの時期1939〜45年)
(a)戦時下の輸入代替工業の成長と国内農産物市場の拡大
(b)ハッカと養蚕のブーム
(5)第二次世界大戦後(Dの時期1945年以降)
(a)自作農化へ(シチアンテへの収斂)
(b)複合的農業への転換
(c)商業へ進出した一部の農業者とその限界
3.「ミネのムラ」の農業経営類型
(1)「ミネのムラ」の構成員の土地所有規模と農業経営類型
(2)日系農業独立小生産者集団地の形成とその発展の方向
[皿]『Y日記』が語る日系農業小生産者の生産と生活
1.生産の分析から生活の描写へ
(1)Yさんの「日記」は語りかけ続けた
(a)事実の記述とその抽象化との狭間で
(b)日記資料の客体化
(2)『Y日記』は日本農業移民の生産と生活の実態を語るか
(a)集団地は「むら」か「ムラ」か
(b)日本の農業移民は数々の動乱期を如何に生き抜いたか
2.Yの生活史
(1) Yの母村一外国が近い移民村
(2) Yの渡伯後の足跡
(a)「転々股旅者」の時期
(b)自作農への道─アニューマスの時期─
(c)第二次世界大戦後─「ミネのムラ」定着期─
(d)Yの家族構成
3.『Y日記』の小さな解説
(1)4冊の日記帳
(2)『Y日記』の記入費目の吟味と整理
4.『Y日記』分析のための記入費目の分類と整理
(1)記入費目の分類
(2)全費目についての分類、整理の結果
5.農業生産支出について
(1)農業生産支出の全体の傾向
(2)土地費用支出について
(3)労働賃金と資材費の変化と経営形態
(4)労働力需要の年変化および季節変化
(5)労働力の雇用形態
6.家計支出について
7.食品関係支出について一日本的食体系への回帰一
(1)パンから米へ
(2)鶏肉から牛肉へ、そして魚食と醤油の常用へ
8.保健、医療関係支出について
(1)不時の巨額出費
(2)日常常備薬の日本への回帰
9.社会的文化的支出について
10.文化的支出について─特に新聞・雑誌・ラジオ等のメディア購入を中心に─
(1)書籍費・ラジオ等の文化関係支出の記録
(2)第二次世界大戦前のブラジルにおける日本移民の一般的状況
(3)雑誌『光輝』と『輝号』購入について
(4)『Y日記』に記載された日本語新聞について
(5)ラジオ購入の意味
(6)小さなまとめ
11.宗教的支出について
(1)宗教行事支出についての記録
(2)「墓参り」について
(3)Yの出身母村における祖霊供養について
(4)ブラジルと日本の「墓参り」の意味づけ
(5)プルデンテ本願寺の創設と『Y日記』に見られるY家の宗教行動
12.その他の社会的文化的支出について
(1)その他の社会的文化的支出についての記録
(2)様々な社会的文化的支出についての解説
(a)Yのアニューマス時代
(b)「ミネのムラ」での社会的文化的生活
[IV]「ミネのムラ」の社会的特性
1.「ミネのムラ」構成員の経済的階層構成
2.出身地と渡伯時の渡航船から見た「ミネのムラ」構成
3.婚姻関係
(1)「ミネのムラ」の婚姻関係と親族集団121
(2)クニャードとソグロ
(3)結婚と非日系人(「外人」)─結婚に見られる人種、民族観─
(4)付記:雇用関係に見られる「外人」観─雇用関係に見られる人種、民族観─
4.子女の「日本語」教育
(1)「ミネのムラ」の日語学校
(a)「ミネのムラ」の日語学校の歩み
(b)「ミネのムラ」の日語学校の現状(1960年)
(2)日語学校の教育目標とその揺らぎ
(a)日語学校の教育目標
(b)「ムラ」の指導者の日本語教育観とそのルーツ
(c)日語学校の教育目標の揺らぎ
(d)子供たちの進路選択
(3)日語学校とYミネのムラ」
5.『Y日記』から見たYの家族の生活圏の構造
(1)『Y日記』の支出費目と生活圏
(2)ブラジルの都市的集落の起源とそのネットワーク
(3) プレジデンテ・プルデンテ市及びその近傍の都市的集落とその階層的分布状況
(4) Yの家族の生活行動圏の地域別傾向と時間的変遷
(a)行動領域の基本形一地元ヴィラとシダージ
(b)その他の行動領域
(5)利用商店の所在地と業種 その利用頻度及び利用頻度の変化
(a)Yの家族が利用した商店等
(b)Yの家族の商店等、購買先の利用傾向
[V]終章:一人の日本移民としてのYの行動と精神の軌跡
1.Yの家族が「ミネのムラ」に定着するまでの軌跡と人間関係
(1)昭和4(1929)年─来伯─
(2)昭和10(1935)年─Y家は土地20アルケイレの自作農となる─
(3)昭和17(1942)年─Yの結婚、ハッカ栽培に走る─
(4)昭和20(1945)年1月─御真影の購入と「千里の道も」の記載─
(5)昭和20(1945)年8月─第二次世界大戦が終わった時一
(6)昭和21(1946)年─ツパンとマリリアへの旅─
(7)昭和22(1947)年─「ミナスが元という事」の記載─
2.昭和23(1948)年─「ミネのムラ」へ、そしてYの独立─
3.家族の不測の病気と移民社会における相互扶助関係
4.昭和25(1950)年─「故国」への送金と水害見舞い─
(1)「家」への送金
(2)「故国」日本への水害見舞い
5.昭和30(1955)年
(1)末弟Kの独立
(2)ブラ拓銀行の預金残高で締め括られた『Y日記』
6.サナギは成虫になった
[VI]あとがき
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