サンパウロ人文科学研究所
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日系企業とブラジル文化の関係

 私が移住者としてブラジルに着いたのは1973年でありました。当時は「ブラジルの奇跡」と呼ばれた時代で、ブラジルブームに沸いていました。日本企業の進出ラッシュ、バスに乗り遅れるなと新たな調査団は目白押しの状態でした。私も、事前にブラジルの事情を調べようとブラジルに関する色々な本を買い込んで読みましたが、今から思えば残念ながら余り役に立たなかったと記憶しております。
 勿論、ブラジルの「事情」とは何を目的とするのかによって違ってくるのですが。私の場合は、将来独立して企業を起こし自分の力を試してみたいという希望でありました。ゆえに、どうしてもブラジルがどのような国なのかを知る必要があったわけです。

 この場合の「事情」とは、今から思えばブラジル人の考え方および行動様式の背景となる「文化的な特徴」を求めていたわけです。経済指標や金融指数、現実の政治の動きは一過性の指数や行動であって、長期的な指標にはならないからであります。
 勿論、当時の、大手企業も進出に先立って色々と調査されての進出と思いますが、これも今から思えば、どうも一過性の指標に、自社マーケットの市場調査予測を加えたデータから進出を決定していたようであります。
 そして、「未来の大国」は土地が広く、人口資源、天然資源が豊富で気候もよく、農業危機にも強く、戦争の可能性も少ない国として天国のように見えたのかも知れません。また、ブラジルは歴史も浅く、経済発展途上国で文化的にも未発達でもあり、一見簡単に理解できると見たのでしょう。

 企業の現地調査項目には「文化的な特徴」は現地事情と呼ばれて、刺身のツマのようなもので重要項目の中には入っていなかったようです。しかし、今振り返ってみると、当時進出された企業の半数以上が撤退されたという事実は何が原因であったかは明らかにされておりません。予想外の事柄が発生して撤退した企業も多いと思います。
 その予想外とは何なのか、日本の本社の事情、もしくはブラジル側の事情の二つに分けられますが、日本人はブラジル政府の予想外の行動(極端な政策変換の多発や超インフレ、為替政策、モラトリアム、極端な経済変動、約束の不履行、その他色々)、に大きく揺さぶられてきました。

 ブラジルリスクの最大の要因は、政治に関係しております。政治家の行動様式は国民の縮図とも言われますが、その政府の行動を予想外といってブラジル人も驚きますが、日本人ほど予想外ではないのは当然です。同じブラジル人が政治を行っているのですから。ブラジル人は歴史的に、今までそのような変化の激しい社会で長年生活してきたのですから当然でしよう。
 このような社会で長期展望と政治リスクをどのように見るか。日本のような安定社会、信用社会、熟成社会、管理社会ではないのです。勿論、日本人もそのようなことは理解していますが、感覚的に理解していても、それらの変動に対して適切な行動はなかなか取れるものではありません。
 ブラジル政府の行動様式の根源はブラジル文化に起因するもので経済から読み取ることはできません。気長に、その特徴を掴むしか方法はないのです。それによって掴んだノーハウが企業を強くするのではなかろうか。

 現地で企業経営を行うについて、常に政治、経済、金融、海外市場、自社マーケットの調査を行いつつ進めるのは当然としても、その背景にあるブラジル文化と歴史的背景を理解せねばうまく経営はできません。
 特に日本人はラテン系文化にはなじみが薄く、ヨーロッパ系企業以上に勉強しなければ同じ土俵の上とはいえ、条件が異なるのですから負けてしまいます。
 条件といえば言葉の問題もあります。ポルトガル語はラテン語から派生した言葉でフランス語、イタリア語、スペイン語も同じ系統の言葉ですからヨーロッパ人には覚えやすく、かつ宗教も同じキリスト教徒で精神文化についても同根であります。
 ということは日本人よりもはるかに仕事がしやすいということです。かように文化的に大きなハンナディを背負う日系企業は、もっとブラジル文化を知る必要があると思われてなりません。

 現地事情は現地で会社を操業しながら覚えればよいという安易な考え方は、戦後すぐのころから、不思議なことに今も全く変わっていないように思われます。派遣社員の多くは、任期が3年から5年です。それでは残念ながらブラジルが少し理解できかけた時期に交代ということになってしまいます。
 そして新しく赴任された方は、再びブラジル事情の予備知識0から始まって、再び新任者に引き継ぐことを繰り返しております。

 それでは「経営に関係する文化的諸条件」とは何か。
 日本では、一般的には現地の言語、習慣、ビジネス慣行、教育、社会事情、等々を指すように思われます。
しかし、私は、現地文化をこのような狭い意味で捉えるから混乱が生じるのではないかと危惧しております。
本来の文化の意味はそのような幅の狭いものではなく「民族の思考と行動様式の全て」が文化であると捉えた方が理解しやすいのではないか。
 勿論、ここでは「経営に関する」と範囲を定めておりますから限定されます。例えば、日本で文化の代表は音楽祭、美術観賞、スポーツ祭、文芸、等を指しますが、経営者であれば、それらが経営に必要な文化と考える人はいないでしょう。
 そもそも、民族の思考や行動様式は政治、経済、宗教、歴史、思想、生活環境に直結しているものであって、学問的には切り離せても文化的な人間の思考や行動様式には垣根はありません。
 例えば、政治的な決定プロセスはブラジル人が考えて行動を取る、その背景はブラジル人の思考や行動様式が織り込まれるのは当然で、ブラジル人の特徴である現実主義的な政策は変わらないし、経営においても日本人よりもはるかに現実的な経営を続けていくと思います。
 勿論、生活も同じ思考・行動様式のパターンであり、当然、企業の社員の考え方も同じであります。これがブラジル文化の一例です。
 結論を言いますと、「経営に関する文化」とは、「ブラジル人の思考と行動様式」を調べること、と定義したいのです。
 ブラジル文化の基本は縦糸にイベリア文化(ポルトガル文化)+インディオ文化+黒人文化、横糸に諸外国移民文化が織り成す文化です。その行動様式は植民地政策、宗教、歴史、民族構成、奴隷制度、教育、生活環境、主要経済(モノカルチャー)等々によって形成されたもので、汚職、犯罪、教育も全てこの線上にあり、政治や経済が如何に変化しても文化は簡単には変化しません。この文化を理解することがブラジルを理解し、未来を予測することになるのです。
 このように考えますと、文化論は刺身のツマどころではなく、極めて大切なものであり、非常に困難な作業となることを覚悟して取り組まねばなりません。

 翻って、前任者の経験は毎回、無駄に捨てられているのです。これを資産化(文章化)しようとする一部の人もいますが、経済活動に必要な文化的要素とは一体何なのかが漠然としていてなかなか進まないようです。
文化は文章化できないもの、とあきらめているのではないでしょうか。
 ある程度まとまった大きな投資をするには、それなりにその国の文化的な特徴を掴まねば投資できないと思うのですが。どうも文化研究にはお金も時間も掛けたくないようです。
 孫子の兵法にもあるように「敵を知る」ことが最善の防御であります。文化研究をおろそかにして、現状を繰り返していますと、いつかは激変に襲われます。
 日本企業も1980年代までは国際化という言葉がはやり、現地化も奨励されましたが、最近はグローバル化という言葉に代わり、業務のコントロールが本社中心に移り、現地事情(現地文化)の重要性はますます低下しているように思われます。日本企業は国際化を卒業したのでしょうか。
 このような書き方をすると日系企業から反論が出るかも知れません。確かに部長クラスの人材は相当数ブラジル人になってきました。一部には重役も育ってきております。社内打ち合わせの言語はポルトガル語と言う会社も多くあります。ブラジルに進出して十数年経っても部長が育たない方が異常なのですが。
 しかし、日本からの派遣社員が全員日本を向いて仕事をしていたのでは国際化はおぼつきません。まして代表者が日々の仕事に追われてブラジル事情を理解しなければ現地化の意味は半減どころかブレーキを掛けてしまいます。その証拠にブラジル関係の書籍を購入する派遣社員は極めて少ないと、ある日系の本屋さんはいっております。

 私は、国際化は永遠に続くもので卒業はありえないと思うのです、なぜならば、外国人がその国を理解するには何年勉強しても終わりはないと思うからです。中途半端に理解できた、国際化は出来た、と思うことが失敗に繋がるのです。
 日本人の物の考え方の延長線でブラジルは捉えられないのです。なぜならば文化の土壌が違うのです。ここをしっかりと認識する必要がある。すし屋さんがブラジルに沢山あっても「経営に関する文化」の範疇には入りません。人は誰しも、自分の今までの体験、経験した以外の予測は極めて困難なのです。
 確認しておきますが、私は文化の話をしているのであって技術や仕事の手順を言っているのではないのです。
技術やマニアルにそった仕事の手順、製品の歩留まり等は現地文化とはあまり関係がありません。例えば図面通りの製品が作れないのは、特殊なものを除いて下請け企業の能力の問題であって文化とは関係がないのです。
 仕事と文化の関連性は下部に行くほど実務の仕事が中心(定型意思決定)となって、文化との接触は少なくなり、上部に行くほど人間関係や対外折衝、企業の方針決定(非定型意思決定)、等は直接、経営者の文化的な要素を含んだ業務になってきます。
 経営方法に国境はなくなっても、異文化の壁は歴然と存在するのです。

 そのようなことをしなくても、ブラジル文化のことはブラジル人に聞けばよいといわれる方もおられるでしょう。確かに、ブラジル人もいれば日本語のできる日系人も沢山おられます。問えば、誰でも親切に教えてくれます。
 しかし、その多くは断片的、経験的ないしは想像的は話が多く、史実に基づいた話ではないのです。例えば、ブラジルの国土面積は日本の23倍で、24州、4連邦直轄区、1連邦都でありますが、全ての首都を実際に回ったブラジル人は極めて少ないと思います。
 しかも、多民族、地域格差の大きな国ではなおさら全てを理解することは困難です。ですから、例え弁護士であろうと経営コンサルタントであっても、人によっては正反対の答えが返ってくることもしばしばです。また、ブラジル人は一般的に超現実主義者で長期的に物事を考えない性格ですから、場合によって日本人の質問の意味が理解できないこともあります。
 手本が無い以上、企業家は自分の業種、規模に合わせて、ブラジル人の協力を得ながらブラジル文化を勉強せねばならないようです。

 これを逆に考えて見ればどうでしょう。フランス人の企業家が日本で企業を設立するについて、日本人に日本という国は将来どのような国になるかと問えば、日本人は何と答えるでしょうか。
 あるいはもっと具体的に、禅と武士道が現代文化に及ぼした影響はどう考えますかと聞かれても、日本人は感覚的に分かっていても実際、外国人に具体的に説明するのは至難の技ではなかろうか。
 日本人には日本文化は既成の事実と受け止めていますが、外国人にとっては日本文化に対しての既成の事実は存在しないのです。カルロス・ゴーン氏(ニッサン元社長)も日本に就任する前に日本文化の特訓を受けたと聞いております。

ブラジル文化の特徴
 私も34年間ブラジルに暮らしていると、いつの間にか環境に慣れてしまって、たいがいのことは驚かなくなりました。ブラジルに着いた当時は、見ること、聞くこと、全てが日本と異なり、仕事をしていても足が地に着かず、空虚な時間を過ごしたものでした。
 ブラジルの文化の特徴と申しましても、そもそも日本文化とブラジル文化には共通点は全くありません。精神的な支柱である宗教から気候、食べ物、人種とことごとく違います。ブラジルに着いた当時、道も分かりませんから、電車に乗って建設現場へ通ったものです。
 今もそうですが、電車やバスに乗るのは低所得者が多いのですが、ある時社内で日本語新聞を見ていると、隣のブラジル人がしきりに新聞と私の顔を見ているのに気付きました。
 その内、セニョールはその新聞の文字が理解できるのかと聞いてきた。分かるよと返事をすると、不思議そうな顔をして納得のいかない様子であった。漢字という複雑怪奇な文字を理解する日本人の頭の構造はどうなっているのだろうかと推し量っていたようだった。
 ところか、しばらくしてから私が逆の立場に陥ったことがあった。
 ある田舎町で夜になったので、町のレストランに入いろうとしたら、薄汚れた年配のドア・マンが暇で、椅子に座って本を読んでいた。私は不思議に思った。当時のブラジルの文盲率は高く、確か35%ぐらいであったはず。しかも田舎はより高い比率なのだ。ドア・マンの社会的地位は至って低くいはずである。
 その彼が薄明かりで本を読んでいるので、気になって、ふと、その本に顔を近づけて見たら、目を疑った。どうもポルトガル語の本ではなさそうだ。よくよく見るとロシア語の本を読んでいるのだ。思わず、あんたその本、理解できるのかと聞いてしまった。彼は分かるよと軽く答えた。一本まいった。まあ、これは事例である。

 ブラジルの最大の特徴と言えば、私は、何と言っても人種差別、宗教対立等の少なさを挙げたい。多民族国家でありながら、極めて人種差別の少ない国であることは万人の認めるところであろう。同じ、新大陸でも、それは際立っている。これは未来の人類の見本にもなりうるものと私は思っている。
 ブラジルに差別が無いとは言わないが、他国に比べて極めて少ないのである。また、世界各地でイスラエルとアラブが対立しても、ブラジル国内の両者は至って平穏であるし、ユダヤ人とアラブ人が結婚式を挙げることもあるのである。
 日本人が大手を振って活動できるのも、日本人にとっては有難いことと思っている。これは、日本人の先輩諸氏の努力もさることながら、やはり、ブラジル文化に負うところが大きい。要するに、寛容の精神であろう。誰に気兼ねせずに自由に生活が出来るが故に、それが気に入って日本人をブラキチ(ブラジル好き)にさせるのかも知れない。
 日本に出稼ぎに言っている多くのブラジル人も、お金を稼ぐのは日本が良いが、いつかはブラジルに帰って生活をしたいと思っているのもうなずける。

 如何なる国の文化も、長所と短所を持ち合わせているものである。
 多様性、人種偏見の少なさ、寛容性、親切心、自由はブラジルの最大の利点で生活しやすいのであるが、裏返すと、社会効率の悪さという一面に繋がっているように思えてならない。時間のルーズさ、約束を守らない、臨機応変に変動する行動、規律を守らない、公よりも私を優先する、これらの多様性が重なると、統一性がなく、社会効率が悪くなり、経済発展の妨げとなる。
 現実には、それに官庁の官僚主義が重なり、非常に効率の悪い社会となっている。どうも、住み良い社会と、社会効率は相反する位置にあるのかも知れない。

 さて、企業を取り巻く商業文化は、またブラジル独特の文化といえます。サンパウロの企業経営者の80%は外国移民の子孫か外国人といわれております。サンパウロは人口約一千万人、衛星都市を加えると一千五百万人以上でブラジル最大の商工業の中心地であり、ブラジルの商工業に外国人移民の果たしている役割は非常に大きいことになります。
 日本人も農業分野では「農業の神様」と言われるほど貢献しました。事実、ブラジル人が今、毎日、野菜を食べる習慣が身についたのは日本人のおかげなのです。
 しかし、商業分野に早くから手を出していたのはアラブ人やユダヤ人で、その商法は日本人とは似ても似つかぬもので、商業民族独特の血縁、地縁のネットワークを持つ強力なものです。繊維、縫製、工具類、調理器具、農産物の仲買、ペット商品、医薬品、玩具類等の販売は彼らの独壇場でもあります。それに諸外国人が加わる複合的な商法となっている。
 そもそも外国移民は独立精神が旺盛で、個性のある人間が多く、最近は中国人や韓国人も加わって競争も激化しております。
 工業製品の基礎を築いたのはイタリア人やドイツ人、その他、東欧も含めた諸外国移民の職人たちです。ブラジルでは、ポルトガルの植民地時代(1825独立)は、工業製品を生産することは禁じられておりました。それはポルトガルの植民地政策に反するからです。
 奴隷解放が1888年で外国移民が大量に流入するのは、それ以後のことです。それ以前、奴隷制時代は、そもそも商品が売れる市場はありませんでした。大農場主たちに商品を売るのはポルトガルから来た商人たちが独占していたのです。
 外国移民が大量に都市に流入するようになってから、市場ができたのです。労働は全て奴隷に頼っていたブラジルでは、白人自ら、汗を流して物を作るという発想はなかった。物を作る、労働をすることは卑しい身分の者のすることだったのです。
 残念ながら、その伝統は今も引きずっていて新しい技術は外国から買ってくるものと考えているのです。実際、新技術開発をブラジルで行っている企業は極めて少ないと思います。
 面白いことに、ブラジルでは新技術が導入されても、進化せずに、いつの間にか退化していくのです。これは経済変化の激しさ、労働法、賃金制度、国民性、大企業優先主義が重なってこのような現象が起きていると思われます。
 現在、大きく伸びている企業の多くは、大資本を使って天然資源を有効利用する企業と農牧関連企業です。
鉄鉱石、鉄鋼、アルミ、パルプ、石油、石油化学、等々は今後のブラジルの機関車役で、どこまで技術力を高められるかが鍵となるでしょう。
 その他の特殊技術が求められる自動車、医薬品、家電、重電、農業トラックター等々は外国資本の企業と住み分けられています問題なのは、表経済が50%、裏経済が50%と言われるいびつな実態経済がブラジル経済を表していることです。

ブラジルの将来の発展について
 いつもながら、未来学者が言うように、未来は過去の勉強から始まります。ブラジルが発見されたのは1500年で、アメリカ合衆国が発見されたのは1492年のことですから、その差は8年と僅かな差に過ぎません。
 同じヨーロッパ人に発見されて、共に広大な国土、アメリカのアラスカ州を除いた本国の面積とブラジルの面積はほぼ同じで、共にヨーロッバ移民を大量に受け入れたのにどうして経済的に遅れをとってしまったのか。
 ブラジルは、日本よりも早く鉄道、電信、蒸気機関、蒸気汽船、大型鉄骨橋梁並びに建築物、近代的製鉄所、印刷機を導入した国であるとともに、科学技術においても1774年には砲術アカデミーで砲術、築城術が開始、その後、王立軍事アカデミー(1811創立)にて天文学、数学,建築学、化学、地図作成術、地理学、物理学、水力学、機械学、鉱物学等々また、1831年には海軍アカデミーも開設されて、造船、航海術も伝わった。
 ヨーロッパには劣るにしても、日本よりは先進国であったわけです。
それなのにどうして経済的に遅れを取ってしまったのか。
ここにブラジルの未来を予測する鍵があるように思います。

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                          2007年3月28日

                           人文研 監査役 辻 哲三

                    元 Armotec climatizacao Ltda 社長  

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