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序文
時局の認識をめぐって、日系コロニアは戦後まもなく、混乱を極めた。「勝ち組」「負け組み」の抗争である。「勝ち組」のテロ事件などで約20人の死者を出し、ブラジル社会で日本移民禁止条項を憲法に盛り込もうという動きもあったくらいだ。
混沌とした時代の中、新しい価値観をつくりあげるための勉強会を開こうと、当時の知識人により組織されたのが「土曜会」。1946年のことだった。それが現サンパウロ人文科学研究所の起源であり、以来、60年以上の月日が経つ。
個人・共同研究の成果は紀要や刊行書などにまとめられ、人口調査や実態調査といった委託調査もこなした。研究者、マスコミ、各種団体・機関に対して、日系コロニアに関する情報を提供し、発言するという意味で人文研は大きな役割を果たしてきた。
アンドウ・ゼンパチ(専任研究員)、半田知雄(専任研究員)、故斉藤広志(元サンパウロ大学教授)、前山隆(元静岡大学教授)……。錚々たる人物の名が並ぶ。
中牧弘允(国立民族博物館教授)や細川周平(東京芸大教授)など客員研究員として人文研に籍を置いたことのある研究者もいる。個性のぶつかりあいの中で、高次元な知的活動が繰り広げられてきたはずだ。
人文研自体の歴史を綴ったものはない。強いてあげれば、定期総会の議事録や「土曜会」創立10周年の記念アルバムくらいだろう。まさに“紺屋の白袴”といった状態だ。
関係者の高齢化が進んでいく中、これまでの歴史をきちんと残しておく必要に迫られている。人文研自体が研究対象になりつつあるといってもよい。
岡村淳理事(記録映像作家)が2006年12月から、脇坂勝則顧問への取材をスタート。ライフ・ヒストリーを映像に収めているところだ。同顧問は「土曜会」時代からの変遷を見守ってきた生き字引の1人である。
口述の中から(1)人文研の歴史(2)関係者の人物像(3)こぼれ話などをひろっていきたい。
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