| 氏名 |
ふりがな |
生没年 |
肩書き・業績 |
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| (1)笠戸丸以前渡航者及びその関係者 |
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| 藤崎三郎助 |
ふじさき・さぶろうすけ |
1867─1926 |
日伯貿易の先駆者。1906年、サンパウロに藤崎商会を創設する。 |
| 隈部三郎 |
くまべ・さぶろう |
1865─1926 |
判事、弁護士。笠戸丸移民以前に、ブラジルに日本植民地の建設を図る |
| 三浦荒次郎 |
みうら・こうじろう |
1861─不詳 |
外務省一等通訳官。皇国殖民会社社長水野龍の介添役となり、聖州関係者と折衝。 |
| 大武和三郎 |
おおたけ・わさぶろう |
1872─1944 |
ブラジル語辞典編纂者。ブラジル公使館通訳官。 |
| 杉村濬 |
すぎむら・ふかし |
1848─1906 |
駐伯3代目公使。サンパウロ、ミナス州を実際に視察し、移民導入のきっかけをつくる。 |
| 内田定槌 |
うちだ・さだつち |
1865─不詳 |
駐伯4代目公使。在任中に第1回笠戸丸移民ブラジルに着く。 |
| 山縣勇三郎 |
やまがた・ゆうざぶろう |
1859─1924 |
実業家。1911年にリオのカショエイラ耕地を購入、米作・甘蔗栽培、酒精醸造を行う。 |
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| (2)移植民事業 |
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| 明穂梅吉 |
あけほ・うめきち |
1875─1953 |
海外興業株式会社移民部長。36年間、移民事業に献身 |
| 江越信胤 |
えごし・のぶたね |
1885─1955 |
海外興業株式会社及びサンパウロ総領事館の農業技師 |
| 長谷川武 |
はせがわ・たけし |
1886─1957 |
植民事業功労者。入国制限など移民問題の対外関係についてブラジル側と折衝。 |
| 井上雅二 |
いのうえ・まさじ |
1876─1947 |
海外興業株式会社社長。海興全盛時代をつくりあげる。 |
| 神谷忠雄 |
かみや・ただお |
1880─1951 |
東洋移民会社代表。日本移民導入のため日伯交渉に奔走。 |
| 水野龍 |
みずの・りゅう |
1859─1951 |
皇国殖民会社社長。ブラジル日本移民の祖。 |
| 白鳥堯助 |
しらとり・あきすけ |
不詳─1934 |
海外興業株式会社サンパウロ支店長。同仁会理事長。 |
| 坂元靖 |
さかもと・やすし |
不詳─1951 |
海外興業株式会社リベイロン・プレット出張所主任 |
| 龍江義信 |
たつえ・よしのぶ |
1874─1953 |
海外興業株式会社専務取締役。創立後20年にわたり、同社の発展に寄与。 |
| 竹澤太一 |
たけざわ・たいち |
1871─1945 |
海外興業株式会社サンパウロ支店長。海興の財務整理に尽力。 |
| 山科禮蔵 |
やましな・れいぞう |
1864─1930 |
東京商業会議所会頭。南米土地会社を設立し、日本人移民の北パラナの発展に貢献する。 |
| 矢崎節夫 |
やざき・せつお |
1889─1954 |
ブラジル拓殖組合事業部主任。伯国球界の草分けの1人。 |
| 中村直吉 |
なかむら・なおきち |
1880─1939 |
日伯協会創立理事の1人。移民船が神戸を出港する度に、記念手ぬぐいを1本ずつ渡す。 |
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| (3)移住地造成・経営 |
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青柳郁太郎 |
あおやぎ・いくたろう |
1867─1943 |
「東京シンジケート」の設立者。レジストロ、セッテ・バラス、桂の3植民地を創設する。 |
| 藤田克己 |
ふじた・かつみ |
不詳─1946 |
ブラジル拓殖会社農業技師。レジストロ植民地の指導に尽力。 |
| 平野運平 |
ひらの・うんぺい |
1886─1919 |
第1回移民通訳。最古の植民地の1つ、平野植民地を創設する。 |
| 古関徳彌 |
こせき・とくや |
1902─1942 |
チエテ植民地支配人。同植民地のマラリアを撲滅。 |
| 上塚周平 |
うえつか・しゅうへい |
1876─1935 |
皇国殖民会社現地代理人。第1回笠戸丸移民と共に渡伯、プロミッション植民地を創設する。 |
| 梅谷光貞 |
うめたに・みつさだ |
1880─故人 |
海外移住組合連合会専務理事。長野県知事。ブラ拓の植民地造成に尽力する。 |
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| (4)アマゾン移民 |
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| 有吉明 |
ありよし・あきら |
1876─1937 |
ブラジル大使。第1回アマゾン移民(1929)の具体化 |
| 福原八郎 |
ふくはら・はちろう |
1874─1943 |
南米拓殖会社社長。 |
| 加藤友治 |
かとう・ともじ |
1898─1956 |
アマゾン移民草分け。胡椒の育成、増殖に貢献。 |
| 武藤山治 |
むとう・さんじ |
1867─1933 |
鐘ヶ淵紡績社長。南米拓殖会社の生みの親 |
| 澤柳猛雄 |
さわやなぎ・たけお |
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アマゾン興業株式会社専務取締役。グアラナ栽培に尽力。 |
| 崎山比佐衛 |
さきやま・ひさえ |
1875─1941 |
海外植民学校(東京都)の創立者。マウエスに分校を設立し、同地の開墾に老躯を捧げる。 |
| 田崎愼治 |
たさき・しんじ |
1872─1954 |
神戸商業大学(現・神戸大学)学長。日本人の海外発展を説き、アマゾン移民を唱導する。 |
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| (5)外交官 |
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| 堀口九萬一 |
ほりぐち・くまいち |
1865─1945 |
駐ブラジル日本公使。同氏のブラジル報告が移民導入の基礎をつくる。 |
| 石射猪太郎 |
いしい・いたろう |
1887─不詳 |
戦前、最後の駐ブラジル日本大使。 |
| 市毛孝三 |
いちげ・こうぞう |
1894─1945 |
サンパウロ総領事。 |
| 君塚愼 |
きみつか・しん |
1891─1956 |
東山農事会社社長。戦後初のブラジル大使。アマゾン移民の導入を進める。 |
| 松村貞雄 |
まつむら・さだお |
1868─1926 |
初代サンパウロ総領事。日本人による植民地経営の必要を説き、平野植民地を支援。 |
| 田付七太 |
たつけ・しちた |
1867─1931 |
初代ブラジル大使。レイス法案の通過阻止に奔走。アマゾン移民のきっかけをつくる。 |
| 多羅間鐡輔 |
たらま・てつすけ |
1879─1942 |
バウルー総領事館領事。ブラジルに移住、バウルー管内連合日本人会会長などを務める。 |
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| (6)産業 |
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| 平生釟三郎 |
ひらお・はちさぶろう |
1866─1945 |
実業家。1935年に訪伯経済視察団長をつとめ、日伯貿易増進の機運をつくる。 |
| 野村徳七 |
のむら・とくしち |
1878─1945 |
実業家。1926年に、パラナ州バンディランテの野村南米牧場を設立する。 |
| 坂本正治 |
さかもと・まさはる |
1877─1952 |
東山農事株式会社社長。ブラジルで事業を創始することを企画し、岩崎久彌男爵に進言。 |
| 岩崎久彌 |
いわさき・ひさや |
1865─1955 |
三菱合資会社社長。東山農事株式会社(1927年設立出資する。 |
| 村田省蔵 |
むらた・しょうぞう |
1878─1957 |
大阪商船三井船舶社長。南米航路の開発に尽力。 |
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| (7)コンデ界隈の顔役、古くからサンパウロに住みついた人 |
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| 木村清八 |
きむら・きよはち |
不詳─1953 |
大工。“コンデ街の主”と言われる。隣人の世話をよく焼き、在留邦人に慕われる。 |
| 鮫島直哉 |
さめじま・なおや |
1885─1955 |
大工。出聖した日本人移民に仕事を斡旋。サンタクルース病院の建設を支援する。 |
| 上地彌蔵 |
うえじ・やぞう |
1873─不詳 |
邦人初の旅館を経営。採算を度外視し、困窮した日本移民を救援する。 |
| 山田隆次 |
やまだ・たかじ |
1889─1932 |
医師。初期日本人移民の医療活動に貢献する。 |
| 山田正忠 |
やまだ・まさただ |
1898─1955 |
兄・隆次の遺志を引き継ぎ、貧困者の救済に献身する。 |
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| (8)教育 |
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| 宮崎信造 |
みやざき・しんぞう |
不詳─1924 |
教育者。邦人初の日本人小学校、「大正小学校」の教師となり、同校の基盤をつくる。 |
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| (9)新聞 |
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| 星名謙一郎 |
ほしな・けんいちろう |
1866─1925 |
1915年、初の邦字紙、週刊南米を発行する。 |
| 三浦鑿 |
みうら・さく |
1882─1945 |
日伯新聞社主。在外公館や移民会社を鋭く批判、邦人社会を沸かせる。 |
| 本山彦一 |
もとやま・ひこいち |
1853─1932 |
大阪毎日新聞社長。昭和天皇ご成婚記念に、「大毎移民団」(1924年)をブラジルに送出。 |
| 野村忠三郎 |
のむら・ちゅうさぶろう |
1898─1946 |
日伯新聞編集長。認識者の指導者の1人で、「勝ち組」によるテロで殺害される。 |
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| (10)文芸 |
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| 岩波菊治 |
いわなみ・きくじ |
1898─1952 |
アララギ派歌人。コロニア歌壇のパイオニア。 |
| 木村貫一郎 |
きむら・かんいちろう |
1867─1938 |
土木技師・俳人。「山水会」を1936年に創設、翌年に俳誌『南十字星』を発刊する。 |
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| (11)医療・保健 |
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| 北島研三 |
きたじま・けんぞう |
1870─1923 |
医師。桂・レジストロ植民地を拠点に活動し、ブラジル人からも慕われる。 |
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| (12)宗教 |
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| 中村ドミンゴス |
なかむら・ドミンゴス・ |
1865─1940 |
カトリック布教使。日本初の海外派遣布教使として1923年に渡伯。アルバレス・マッシャード |
| 長八 |
ちょうはち |
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を拠点に伝道の旅を続ける。 |
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| (13)スポーツ |
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| 安養寺顕三 |
あんようじ・けんぞう |
1903─1939 |
日系社会のスポーツ振興功労者。野球の普及、陸上競技の発展などに貢献する。 |
| 前田光世 |
まえだ・みつよ |
1880─1941 |
柔道家。通称コンデ・コマ。アマゾン移民の先駆者。 |
| 斉藤魏洋 |
さいとう・ぎよう |
1903─1944 |
水泳コーチ。黎明期のブラジル水泳界の発展に寄与する。第8回オリンピック日本代表選手。 |
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| (14)農業・産業組合 |
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| 下元健吉 |
しももと・けんきち |
1897─1957 |
コチア産業組合初代理事長。組合員1万5000人を誇った、コチア組合を同志とともに創立。 |
| 渡辺孝 |
わたなべ・たかし |
1883─1939 |
モジ・ダス・クルーゼス日本人産業組合初代理事長。 |